LABEL - 光文社(JAPON)
FORMAT - BOOK
盤質：EX- ジャケット: EX

「お腹の子の父親を迫って旅する女、肌は白いが黒人の血を引いているという労働者、奇妙な説教が問題となり辞職した牧師、黒人を援助して町で疎まれている北部女。米国南部の町ジェファソンで、過去に呪われたように生きる人々の生は、一連の壮絶な事件へと収斂していく。」

「あの男が生きてきた年月、したこと、しなかったこと、すべてがあの男と足をそろえ、呼吸を合わせ、心拍を合わせ、ひとつの心臓を使って、走った。お祖母さんが知らない三〇年だけじゃなく、それ以前にいくつもつながってきた先祖代々の三〇年が、クリスマスの白い血、あるいは黒い血、まあどっちでもいいが、その血に汚れをつけて、クリスマスを殺してしまったんだ。でもクリスマスは、しばらくの間は信じながら走ったに違いない。逃げきれるという希望を持って走ったに違いない。だがあの男の血は静かにしていなかった。おとなしくあの男自身に救われようとしなかった。クリスマスの血は白くなろうとも、黒くなろうともせず、自分の身体に救われようとしなかった。あの男がミス・バーデンの屋敷の黒人小屋に住むようになったのは黒い血に突き動かされてのことだった。それから白い血があの男を黒人小屋から追い出した。黒い血があの男をハイタワーの家へ行かせた。白い血が、あの男の中で最後にもう一度湧きあがり、あらゆる道理と現実に反して、お祖母さんの抱いていた救いについての幻想のほうへ、聖書に書いてありことを闇雲に信じる気持ちのほうへ、あの男を押しやった。それからしばらくの間、たぶん白い血はあの男を見捨てたのだと思う。ほんの一瞬、黒い血が湧きあがり、その結果、あの男は救いの希望を託したはずのハイタワーに襲いかかったんだ。黒い血はあの男自身の欲望に従って、あの男をどんな人間の助けも届かないところへさらっていってしまった。心臓がとまらないうちから命が終わり、死が欲望の対象となり、成就とみなされる黒い密林から、恍惚の世界へとさらっていってしまった。それから黒い血はまたあの男を裏切ったんだ。あの男の人生の危機の時に必ずそうしたよいにね。クリスマスはハイタワーを殺さなかった。拳銃で殴っただけで、さらに逃亡を続け、あのテーブルの影にうずくまって、最後にもう一度、黒い血に反抗した。三〇年間、反抗しつづけてきたように。クリスマスはひっくり帰ったテーブルの陰にうずくまり、男たちに射殺されるがままになった。手にした拳銃には弾がこめてあったのに、発砲せずじまいだったんだ。」

「これは、決してアメリカ南部ミシシッピの悲劇にとどまるものではない。第一次世界大戦前後の西欧を震源とし、全世界にいよいよ抗いがたく広がっていった近代の力によって〈ふるさと〉をなくして(殺して)しまったあらゆるもののこころの痛みにまつわる、普遍的な悲劇である。日本に生きる私たち読者もまた、「この黒い血の噴きあがりを忘れないだろう」。忘れてはならない、ではない。忘れることができないのである。」(2018)(イノウエ)